[書籍


]すぐれた意思決定〜判断と選択の心理学〜、印南一路、中公文庫、p.323、\648(ただし絶版)

 質の高い意思決定を行う秘訣を説いたビジネス書。ポイントは人間が陥りやすい誤りを自覚し、それを回避して意思決定を行う方法を解説しているところ。イケイケどんどんの成功体験ではなく、認知心理学や行動心理学、社会心理学ゲーム理論などの知見に基づき、失敗を避けるところに主眼を置く。的確な数多く事例を挙げ、説得力に富む議論を展開しており読み応えがある。意思決定を日々迫られている方々にお薦めしたい。
 著者は慶應義塾大学総合政策学部教授で、この書評で著書「『社会的入院』の研究〜」を取り上げたこともある。Wikipediaによると専門は医療政策と意思決定・交渉領域となっているが、最近は全社に傾注しているようだ。ちなみに早稲田大学の内田和成教授がどこかの記事で本書を推薦していたが、すでに絶版になっており古本でしか入手できない。
 筆者は本書で、規範的意思決定論の規範性を引き継ぎながら、これに実証的な根拠を明らかにし、実際的な立場から「すぐれた意思決定」を実現する術を追求したという。確かに本書では、人間の意思決定プロセスに関する実証研究を通じて、人間が共通して犯しやすい誤りを数多く紹介している。これがなかなか役に立チ、意思決定の際の“気付き”につながりそうだ。もともとは1997年と15年も前に出版されたビジネス書だが、議論における多様性や情報技術(IT)活用の重要性にも言及しており、筆者のセンスの良さが光っている良書である。
 本書は3部構成をとっているが第1部と第2部が興味深い。第1部では「我々と意思決定」と題し、意思決定とは何かを論じると同時に、人間の認知能力の仕組みと限界を解説する。第2部「直感的意思決定のおとしあな」は読み応え十分である。情報データの罠、数値データの罠、記憶の罠、推論の罠、直感的な決定ルールの罠といった角度から、人間が陥りやすい落とし穴を論じる。

卵子老化の真実、河合蘭、文春新書、p.253、¥893


 先日の書評で取り上げた「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」と同じテーマを、“日本で唯一の出産ジャーナリスト”が扱った書。20年あまり出産を取材してきた著者らしく、取り上げる内容は的確で読み応えのある内容に仕上がっている。「産みたいのに産めない」がNHKらしく具体的事実でぐいぐい押してくるのに対して、本書は手練のジャーナリストらしくトピックスを適切に配置して読者を引き付ける。図版のよさも、本書の特徴の一つである。卵子老化に興味を持たれた方は、両方の書を読むことをお薦めする。
 本社は4章構成をとる。第1章の「何歳まで産めるのか」で35歳以上の妊娠の難しさを統計データや歴史的背景に言及しながら指摘する。驚くのは明治女性の高齢出産である。45歳以上の出産数は現代の20倍を超えている(ただし明治の女性は、若いうちに最初の出産を終えている)。第2章は「妊娠を待つ」。不妊治療の現場を問題点とともに明らかにしている。第3章では「高齢出産」を扱う。特に、興味深いのが出生前診断についての記述だ。この対処が難しい問題に対して。妊婦がどのように考え、どのように行動しているのかを取材をもとに明らかにする。第4章は「高齢母の育児」で、陥りがちな問題とともに、高齢であることのメリットにも言及する。視点がユニークで思わず唸ってしまう。

プルトニウムファイル〜いま明かされる放射能人体実験の全貌〜、アイリーン・ウェルサム、渡辺正・訳、翔泳社、p.600、\2625


 凄まじい取材力に圧倒されるノンフィクションである。プルトニウムを人間に注射し、放射能の影響を調べる人体実験が国家の名のもとに米国で繰り返されていた事実を丹念な取材をもとに追っている。人体実験に関与した医者や科学者の行状を明らかにするとともに、実験の対象になった人たちの人生にも迫る。半世紀にわたって隠されていただけに、取材に困難が伴うのは想像に難くない。筆者は、ピューリツァー賞を受賞したこともある米国人ジャーナリストで、その力量をいかんなく発揮している。ちなみに本書は2000年に刊行された同名の書籍に加筆・修正を加えた新装版。原子力にまつわる歴史を知ることができる良書である。
 本書は、冷戦時代に数千回の放射能人体実験が行われ、その被験者の大半が貧者か弱者か病人だったことを明らかにする。プルトニウムを注射されたのは18人。このほか、829人の妊婦に放射性の鉄を投与したり、74人の施設の子どもへの放射性物質投与、700人以上の患者に対する全身照射、131人の囚人の睾丸への放射線照射などやりたい放題だった。米原子力委員会は、これらの事実をひた隠しに隠した。
 クリントン政権は1995年に、放射能人体実験に関する報告書を発表し謝罪した。ところが、同じ日にO.J.シンプソン裁判の無罪評決が下ったこともあり、マスコミの扱いは小さかった。恥ずかしながら評者も、この事実を本書を読むまで知らなかった。

英国一家、日本を食べる、マイケル・ブース、寺西のぶ子・訳、亜紀書房、p.280、¥1995


 英国のトラベル/フード・ジャーナリストが家族同伴で日本を食べ歩いた100日間を綴った書。東京、横浜、札幌、京都、大阪、沖縄、福岡と行動範囲は実に広い。よく知られた名店、玄人筋がひいきにする一見さんお断りの店、ごく庶民的な店と紹介される店はバラエティに富む。身近なだけに気づかない日本の食の奥深さを感じさせる書である。料理の達人で知られた服部幸應服部栄養専門学校長)、料理研究家辻静雄(辻調理師学校創設者)の長男・辻芳樹との交流も実に興味深い。
 1日に何軒もラーメン屋をハシゴしたりと、100日間の滞在期間中の食べっぷりは凄まじい。個人的にはあまり美味しそうな感じがしないのだが、これは評者の味音痴のためだろう。食道楽の方にはたまらない1冊かも知れない。

太陽 大異変〜スーパーフレアが地球を襲う日〜、柴田一成、朝日新書、p.211、\798


 京都大学天文台長で太陽物理学者の筆者が、最新の研究成果をもとに太陽の素顔に迫った書。大爆発(スーパーフレア)や黒点が生じる仕組み、地球に与える影響について論じる。新書らしい内容で、ちょっとした知識を身につけるのに役立つ。太陽の物理に関する記述は少し難解だが、そんなもんかと読み飛ばせばよいだろう。夏休みなどの生き抜きに向く書である。
 筆者は冒頭で、1000年に一度の超巨大爆発「スーパーフレア」が起こったときに、地球にどんな影響を与えるかをSF仕立てで紹介する。これが、なかなか衝撃的である。大量の放射線粒子が地球に降り注ぎ、人工衛星はすべて故障し、航空機の乗客のなかには急性放射線障害を起こす人が現れ、北極圏ではオゾン層の破壊が始まり、GPSは動かなくなる。さらに大磁気嵐によって大停電が発生し、全世界の原子力発電所で電源が喪失する。まさに恐怖のストーリーである。ちなみに1989年のフレアは、ケベック州で9時間の大停電を引き起こした。600万人に影響を及ぼし、10億円の被害を与えたという。
 筆者は、太陽とよく似た恒星でスーパースレアが起きていることを雑誌「Nature」で公表した。しかし査読の過程で、地球で起こる可能性を言及した箇所については、「社会を恐怖に陥れる」「太陽で起きる確証がない」との理由で掲載を拒否された。
 太陽の黒点の話も興味深い。このところ太陽の黒点は少ない時期が続いているという。この結果、地球は寒冷化に向かう可能性がある。二酸化炭素地球温暖化の元凶と吊し上げにあっているが、筆者は寒冷化の歯止めになっているのではないかと指摘する。

鼻の先から尻尾まで〜神経内科医の生物学〜、岩田誠、中山書店、p.224、\2940


 神経内科医が人間の体の不思議を、鼻の先から尻尾にわたって解説した書。編集者の試みは悪くないが、一つひとつの部位の説明が短いのと、専門用語を無造作に多用している面があり、素人には読みづらい。筆者は洒脱な学者のようだが、それを活かしきれていない。全体に、少々面白みに欠けているのは残念である。
 本書は、鼻、目、脳、顎、背骨、首など全部で11の部位について、それぞれ数ページを割いて紹介する。神経内科医の診療は、鼻の先から尻尾までの領域に対し刺激を与え、その反応を観察することによって成り立っているという。筆者は本書で、人体の各部位をどのような観察をしてきたかを紹介するとともに、生物学的な進化の側面も論じている。研究者としての体験について力を注いで記述しているのも本書の特徴である。
 興味深いのは四つの部位について「神様の失敗(設計ミス)」と称しているところ。具体的には、頸椎、鼠径輪、肛門の周りの静脈叢、腰椎だ。例えば頸椎。四足で歩いているのなら問題はなかったが、二足歩行を始め、重い頭を乗せて40年以上も歩くことは神様の想定外だった。頸椎の椎間板は擦り切れ、頸部変形性脊椎症(頸椎症)を引き起こす。鼠径輪では鼠径ヘルニア、肛門の周りの静脈叢では痔核、腰椎では腰椎症が人間を悩ませる。確かに、こうした症状を訴える方は少なくない。

クレイジー・ライク・アメリカ:心の病はいかに輸出されたか、イーサン・ウォッターズ、阿部宏美・訳、紀伊國屋書店、p.342、\2100


 米国が心の病気を輸出していることを、香港の「拒食症」、スリランカの「PTSD」、ザンジバルの「統合失調症」、日本の「うつ病」を例に挙げて論じたもの。うつ病の話はなかなか衝撃的だ。米国人は精神疾患の概念を輸出し、その疾病分類や治療法を世界標準にしてしまう。その結果、地域固有の多様な疾患や民族特有の治療法を席巻した。都合の良い事例を取捨選択した気もするが、筆者の主張には耳を傾ける価値がある。知的好奇心を満足させられる良書なので、精神疾患に興味をお持ちの方に薦めたい。
 筆者によると、米国で認識され社会に広められたいくつかの精神疾患が、文化の壁を越えて伝染病のように広がっている。例えば香港における拒食症。香港の拒食症には従来、肥満への恐怖はみられなかったし、痩せているのに太りすぎだという間違った思い込みもなかった。ところが米国流の価値観と診断法が入った結果、香港の文化と精神疾患はすっかり姿を変えてしまったという。
 日本のうつ病は、製薬会社のマーケティングに大きな影響を受けたと筆者は主張する。日本では元来、憂鬱や愁い、悲しみは辛くても個人の性格を作り上げる要素だとみなされていた。米国なら病的とされる抑うつ感情は、道徳的な意義を持つとともに、自己認識のキッカケだという認識を多くの日本人が共有していた。うつ病はまれな疾患だった。こうした悲しみや抑うつ感に関する日本人の考え方に影響を与え、治療薬を売り込むために、製薬会社はメンタルヘルスの定義を必死に作り変えようとした。その一つが、マーケティング担当者が生んだ「心の風邪」というフレーズだという。それなりに説得力をもつ内容である。
 筆者によると、うつ病の根本原因はセレトニンの枯渇にあり、SSRIが脳内で「自然の分泌される」化学物質のバランスを再調整するという理論には科学的根拠がない。科学的事実というよりも文化的に共有されている物語であり、マーケティングが奏功した結果だという。