ヒューマンエラーは裁けるか〜安全で公正な文化を築くには〜,シドニー・デッカー著,芳賀繁・訳,東京大学出版会,p.288,¥2940

minami_chaka2010-01-02

 人が原因の事故が起こったとき,それを教訓に将来の安全につなげるにはどうすればよいのか,逆に何をしてはいけないのか――。本書の論点を簡単に示すとこうなる。「責任を追及しすぎないことと,ヒューマンエラーを犯罪と呼ばないこと」の重要性を,多くの実例を引きながら強調する。示唆に富む情報が満載の書で“安全・安心”に興味のある方にお奨めだが,難点は翻訳。正確に翻訳しようとしたためもあるが,いかにも翻訳調で読みづらい。問題点の指摘はすばらしいが,解決策への言及が不足しているのも残念なところである。
 米国は事故調査委員会が中心となり,当事者を免責して徹底的に事故の原因を究明する。警察やFBIは動かない。対照的なのが欧州や日本。事故の刑事責任の追及に躍起になる(本書では「ヒューマンエラーの犯罪化」と呼ぶ)。マスコミや社会の空気はスケープゴートを求める。その結果,生け贄が差し出されトカゲの尻尾切りで終わる。尻尾にされかねない現場は本当の情報を開示せず,おざなりな報告で済ませてしまう。そのためシステムや組織の改善につながらず,同様な過ちが繰り返される。人間工学の専門家である著者の指摘はいちいちもっともである。
 本書が繰り返し強調するのが,裁判はヒューマンエラーの抑止につながらない,解雇・降格・停職などは個人や組織にとって安全性の向上につながらないということ。専門家が裁判にかけられると,安全性は犠牲になることを示す。組織や専門家は,安全性に投資するよりも,自らが検察の注意を引かないように努力する。筆者は実例を挙げながら,欧州や日本の仕組みの問題点を指摘する。
 あと知恵なら何とでも責任追及ができる,という指摘も納得できる。あと知恵による追求に対処するために,組織は官僚的になり,こまごまとした文書を作成する。組織を防衛することに血道をあげる。これらは,けっして現場の安全性確保に寄与しない。