日本語が亡びるとき〜英語の世紀の中で〜,水村美苗,¥筑摩書房,p.330,¥1890

minami_chaka2009-02-08


 多くの書評で取り上げられているので期待を持って読んだが,完全に裏切られた。300ページにわたって著者のとりとめのない話と自己満足に付き合わされる。筆者の主張は,「今の日本語教育はなっていない」「インターネット時代の到来で英語がますます強くなり,古き良き日本語は早晩亡びてしまう」「学校では,文学が文学として成立していた近代日本文学(二葉亭四迷樋口一葉など)を伝統的仮名(旧仮名)遣いで教えるべきだ」といったところにある。
 筆者は現代仮名づかいの表音主義を目の敵にする。伝統的仮名づかいこそ日本文学を文学たらしめたものであり,すべての国民が書けるようになることを理想としたところに日本の国語教育の誤りがあっと嘆く。「読まれるべき言葉」を読む国民を育てなかったことが日本文学をダメにし,文化の否定につながっていったと主張する。
 苦笑するのは「文学の終わり」を憂えている箇所。要因として三つ挙げているが,これがすごい。第1は科学の急速な進歩。科学に関する情報を知ることが小説を読むよりも重要になり,どこ国の大学でも文学部が容赦なく縮小されていると糾弾する。第2は文化商品の多様化。ビデオ,CD,ゲームと楽しい商品が増えて,小説の独占的地位が失われた。第3が大衆消費社会の出現。文学価値よりも流通価値(商品価値)が高い物が氾濫し,つまらない本がはびこるようになった。崩れつつある日本語を守りたい気持ちはよく分かる。これはこれで主張としては結構だし同感だが,筆者の思い描く理想郷はあまりに荒唐無稽である。
 本書の最大の問題は,結論に行き着くまでの道のりがあまりにも遠いこと。しかも論理が飛躍したり唐突な仮定が出現したりと,読んでいて疲労困憊する。理科系学部の出身で,多様化した文化商品を生業としており,大衆消費社会を楽しんでいる評者は,筆者にすれば想像したくない人間なので仕方がないのかもしれないが・・・。